米中で最も本質的な違いは「政府への期待」にある——中国の大政府志向と米国の自己責

中国と米国の最も本質的な違いは何か。この問いに対し、知乎(中国のQ&Aサイト)のある回答者は、制度の表層ではなく、両国の国民が政府に何を期待するかという点に答えを求めた。この視点が議論に値するのは、よくある制度の一覧を避け、人が困ったときに最初に誰を頼るかという行動の原点を直接指し示しているからだ。

回答者の中心的な判断はこうだ。中国人は早くから、統一された垂直行政の下で戸籍に編成され、各国民に直接責任を負う大政府に慣れ親しんできた。一方、米国人は政府を課税・治安・国防の提供者と見なし、それ以外ではなるべく介入してほしくないと考えている。どちらの意識も抽象的な観念ではなく、歴史的な経路が残した習慣である。

郡県制が残した行政の慣性

回答者は歴史から説き起こす。中国の国土の拡大は主に郡県制による垂直行政の拡大であり、羈縻(きび)地域は不安定か安定が遅れることが多かったが、いったん郡県体系に組み込まれれば国家への帰属意識はかなり強固になった。そこから生まれた慣性として、中国人全体は統一への志向が高く、郡県化された部分が切り離されることをますます受け入れなくなっている。

回答者によれば、この慣性が現代に落ちると、中国人の共和国政府への要求は米国人の連邦政府への要求よりはるかに高く、場合によっては米国人の州政府への要求よりも高い。つまり人々は大政府を受け入れるだけでなく、それが責任を負うことを期待しているのだ。

問題が起きたとき誰を責めるか

回答者は一つの対比を挙げる。同じ2022年のロックダウンでも、西安の人は省市をより強く問い詰め、上海の人は国家レベルにより多く不満を漏らしたが、全体としては中国人は問題が起きると「中国」に帰責する習慣がある。一方、米国で寿命が数年しかないホームレスの一部は、むしろ不満が少ない。彼らの心の中では自分は国家に世話されるべき「老百姓(一般民衆)」ではなく、まだ成功していないか、肝心なときに賭けに負けても潔く受け入れる潜在的な富豪にすぎないからだ。

この対比は厳密とは言えないが、一つの差異を指摘している。一方は政府の最低限の保障を政府の当然の務めと見なし、他方はリスクを個人の選択と見なす。回答者は一人称で、国家の保護の下で保障された国民になるのは嫌だとまで書く。それは人を卑屈で鈍くするからだ。保障のある生存より、挑戦のある人生を望むという。

政府への警戒と「皇糧」への憧れ

回答者はさらに説明する。西洋人が政府を警戒するのは、歴史の中で政府が主に課税と治安提供という単純な機能しか担ってこなかったという理解に由来する。だから現在の要求は政府がなるべく介入せず、関わらないのが最善ということになり、国家間戦争のリスクがなければ無政府主義に傾くほどだ。

中国は違う。回答者によれば、中国の政府は歴史的記憶がまだ明確でないうちに形成され、中国人が「皇糧(政府の俸禄)」を追い、安定した国家保障を求め、政治的地位と社会的階層を追求するのは骨の髄まで刻まれている。中国の豪紳は社会のジャングルで勝ち抜いてきたのではなく、学んで優れれば仕官するという政治のジャングルから勝ち上がってきたのだ。

問い直す価値のある一断面

回答者も、この統一行政への崇拝の度合いは地域によって差があることを認め、自ら「逆差別主義」と呼ぶ心态を批判する。自由を求めながら保障も求め、介入を許さない一方でしっかり管理しろとも要求する態度だ。回答者が本当に敬服するのは冒険心を持ち、賭けに負けても潔く受け入れる米国人であり、最低限保障型政府の精神を持ち込んだ偽の米国精神ではない。

両国の違いを「政府への期待」に帰するのは、もちろん一つの断面にすぎず、制度や経済、社会のすべてを説明できるものではない。しかし、避けがたい問いを提起している。困ったとき、あなたは誰が最低限の保障を負うべきだと暗黙に考え、そのためにどれだけの自由を譲るのか。この問いへの答えは、どんな制度のラベルよりも雄弁かもしれない。

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