中国のQ&Aサイト「知乎」で最近、「アメリカはなぜ自国のカラー革命を心配しないのか」という質問が話題になっている。回答者の「叶色温柔」氏は、そもそもこの問い自体が偽の命題であり錯覚だと指摘する。アメリカは心配していないどころか、その対処手段は多くの国より厳しい可能性があるという。この話題が注目に値するのは、見落とされがちな一面に触れているからだ。アメリカは「民主主義」を輸出する一方で、内部の異議にどう向き合っているのか。
国家機構は飾りではない
回答者はこう問い返す。もし心配がないのなら、世界最強とうたわれるアメリカの国家機構は何のためにあるのか、と。この一言は見落とされがちな論理を突いている。巨大な治安機関、情報網、法執行体系は、それ自体が内部の不安定を防ぐために存在している。アメリカは政治リスクのない真空地帯にいるわけではない。ただ、その対処法が「自由と民主主義」の物語に覆われているだけだ。
「アメリカ精神」から外れた運動への弾圧は激しい
回答者は最近の例を挙げる。反イスラエル抗議は反ユダヤ主義として厳しく禁じられ、参加者は軽ければ職を失い、重ければ司法処理を受ける。こうした対応にアメリカのエリート層は息を潜めている。これは、社会運動が一部の核心的利益や物語に触れたとき、アメリカの反応が他国より穏やかではないことを示す。ポリティカル・コレクトネスには境界があり、その外側には現実の圧力が存在する。
歴史に見るマッカーシズム
回答者は1950年から1954年のマッカーシズムにも触れる。悪名高い政治的迫害は無数の人々を巻き込み、銭学森も被害者の一人だった。銭学森の帰国は、迫害が決意を促した面が大きい。この歴史は、アメリカが内部の「逸脱」を弾圧する深い伝統を持ち、一時の気まぐれではないことを示す。マッカーシズムは過去のものとなったが、特定のイデオロギーへの恐怖と抑圧というその論理は完全には消えていない。
強盛期の自信と衰退期の不安
回答者は最後にこう分析する。アメリカは自らを「神の寵児」と見なし、強く豊かなときは天国のように多くの心配が見過ごされる。しかし外力の衝撃を受けると、制度固有の欠陥が国を盛衰させ、醜い面が次々と露出し、臆病さと不安も伴う。言い換えれば、アメリカはカラー革命を心配していないのではなく、その心配が段階によって異なる形で表れているのだ。
したがって、アメリカがカラー革命を心配していないと言うより、強力な国家機構と柔軟な政治手段でその心配を管理していると言うべきだ。だが管理は消除ではない。内外の圧力が増すとき、抑え込まれた不安が表面化するのか。それはさらに検討に値する。
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